top of page

〈インタビュー〉太田麻衣子さん(亀田総合病院救命救急センター)臨床検査技師の「災害医療への意識を高めたい」


 インタビュー「きらり臨床検査技師」は検査技師としての本来業務だけでなく、所属施設外で精力的な活動を行っている方、興味深いテーマや研究に打ち込んでいる方、ユニークな資格や経歴を持つ方など、編集部が“きらり”と感じた検査技師を紹介します。(MTJ編集部)

 
 予期せぬ自然災害が頻発する中、災害発生時の医療をどのように確保するかは医療職が向き合う共通課題になっている。千葉県鴨川市の亀田総合病院救命救急センターに常駐する太田麻衣子さんは、国内外の災害医療の現場で活動してきた臨床検査技師。病理担当の検査技師として歩み始め、一時は検査技師を辞めようと思った太田さんは今、災害医療で求められるノウハウやスキルを普及させるための活動に力を注いでいる。「いつどこで必要とされるか分からない災害医療への検査技師の意識を高めていきたい」。災害派遣医療チーム(DMAT)や国際緊急援助隊(JDR)として被災地に向かうようになるまでのキャリアを振り返りつつ、災害医療に取り組む思いを語っていただいた。
 
救命救急センター常駐の臨床検査技師として活躍されています。検査技師を目指すきっかけや、亀田総合病院に所属するまでのキャリアを振り返っていただけますか。
 生まれ育ちは長野で、高校の進路指導の際、看護師を目指していた友達の影響で医療系コースを選んだというのが正直なところです。もともと理系科目が好きで、信州大学保健医療学科に入って病理分野に興味を持ち、群馬大学医学部保健学科検査技術専攻に編入し卒業、細胞検査士の資格を取得しました。群馬県内の病院で2年間病理を担当し、横浜の中規模病院に職場を変えました。

 田舎から移った20代の頃は、細胞診の検査技師として働きながら、毎晩飲み歩くような生活でしたね(笑)。都会で出会った人たちは皆きらきらしていて、5年くらいすると検査技師の仕事に少しずつ飽きてしまった。20代が終わる頃には、畳職人だった友人の影響で、検査技師を辞めて畳職人を目指そうと決めていたのですが、その頃、何気なく見たテレビで亀田総合病院の天国に一番近い霊安室にとても感動してしまって。霊安室は地下の暗いイメージがあったのですが、最上階でガラス張りのオーシャンビューの霊安室を持つ病院で働いてみたいと思い立って、すぐに病院に問い合わせました。確か募集は終わっていたのですが、志望動機を熱く語る中で、そこまで言うなら見学に来るかという話を頂きました。当時、ERに検査技師を配置しようというプロジェクトが動いていて、病理とは違う分野でしたけど、私自身も面白いかなと思って飛び込んだのが10年ちょっと前だと思います。

 現在、籍は検査科にあるのですが勤務場所はERです。最初の約1年は、ERで働くための研修をしっかり受けました。病棟業務の研修では、患者さんの体を拭いたり、着替えだったり、検査室内では学べない実務の知識や技術、ルールなどをいろいろ教えていただきました。今は医師、看護師と搬送された患者さんを迎えにいき、心電図や酸素モニターの装着から、静脈路確保など検査技師としてやれることは何でもやっている感じです。

救命救急センターと災害医療は、緊急性が高いという共通点があるのかもしれませんが、災害医療に興味を持つきっかけとなった出来事はどんなことでしょうか。
 2011年3月の東日本大震災ですね。先ほど話した病棟研修を受けている時に起きて、揺れるベッドを抑えながら、病院の目の前が海なので津波が来るとか来ないとか慌ててしまって。東北の被害状況が明らかになるにつれて、これからERで働こうとしている自分は、同じような災害が起きた時に何ができるのだろうと考えたら、何もできないなと感じてしまった。

 そんな時、亀田総合病院から被災地支援に入ったDMATの存在を知り、そういった組織で活動してみたいと強く思うようになりました。どうすればメンバーになれるのかを聞いたら当然、しっかりした研修や訓練、試験があり、病院の推薦も必要ですし、それからいろいろ勉強してDMATに登録されるまで4年くらいかかりました。

◆DMAT、求められる「ロジスティシャン」の役割


災害医療の現場で、実際にどのような業務、役割を果たしているかについて具体的なイメージが湧かない検査技師も多いと思います。検査技師としてのスキルを生かせる部分はあるのかを含め、DMATやJDRとしての活動を教えていただけますか。
 臨床検査技師に限らず、DMATでは医師と看護師以外の全ての医療職は「業務調整員」としての役割が求められます。いわゆるロジスティシャンですので、逆に言えば、臨床検査技師としてのスキルは基本的に必要とされないです。
鬼怒川氾濫時のDMATの調整本部
 DMATとしての最初の活動は2015年9月、鬼怒川が氾濫した関東・東北豪雨でした。DMATの調整本部の連絡係を任せられ、電話が鳴りやまない中で、多くの情報や調整案件を整理するロジ機能の重要性を改めて痛感しました。どういった患者をどの病院に運ぶ必要があるのか、どこでどんな物資が足りなくてそれをどうやって届けるのか、情報が錯綜する中でリーダーに届けないといけない情報は何かを見極める力などです。現場を経験してみて思うことがやはりあって、自身のロジ能力を磨くための研修や訓練を重ねるようになりました。その後の熊本地震や、能登半島地震などの現地支援でも少しは貢献できるようになって来たかとは思っています。

 JDRとしてはサイクロン被害を受けたアフリカ南東部のモザンビークと、昨年のトルコ・シリア地震の支援で現地に入りました。DMATと大きく違うのはロジスティシャンではなく、臨床検査技師としてのスキルが明確に求められる点です。水や電気、物資が不足する中、仮設診療所の場で採血、POCT機器を使った検査全般を行います。検査技師の日常検査業務が浅く広く求められるようなイメージが近いですかね。検査技師としてのスキルを被災地支援で生かしたいのであれば、DMATよりJDRの業務がマッチすると思います。

JDRとして加わったモザンピークでのマラリア検査

◆災害医療、学会カテゴリーに位置付けを


多くの臨床検査技師は災害医療への意識はそこまで高くないのが現状だと思います。平時からの備え、発生時の対応などに関心を持ってもらうためには、どういった取り組みが必要でしょうか。
 DMATに登録している臨床検査技師は約200人、JDRはもっと少なく約20人です。医師や看護師など他の医療職に比べて圧倒的に少ないのが現状です。私の思いや経験を皆さんに発信することで、災害医療に興味を持ってアクションを起こす人が増えてくれればいいのですが、私一人の力ではなかなか物事が前に進んでいかないのが現実です。

 今思っているのは、例えば、日本医学検査学会など多くの検査技師が集まる学会で、一般講演などのプログラムで災害医療を位置付けてほしいと思っています。一般検査や生理、血液、微生物といったカテゴリーがありますが、災害医療はその他分野に組み込まれています。災害医療に対する多くの皆さんの関心を高めてもらうためにも、災害医療を一つのPGテーマとして明確にする。現場のさまざまな取り組みや最新情報を共有する場をしっかり設け、この分野の仲間が増えていけばうれしいですよね。

 所属施設や検査室に災害医療に関わる活動を理解していただくことも大事なポイントです。私自身、災害が起きた際にDMAT等の活動にシフトできるのは上司や同僚の理解があるからです。臨床検査技師の幅広い業務の中には、災害発生時の対応があるということが、当たり前のものとして広く認識される環境が整うのが理想だと思っています。

災害医療や災害対策をライフワークにして活躍しておられますが、若手時代から順調なキャリアを歩んできたわけではないとおっしゃいます。自分が興味を持てるテーマを見つけて動き出したいけれども、なかなか最初の一歩が踏み出せない若手技師の方も多いと思いますが、メッセージをお願いできればと思います。
 今でこそ、災害医療を偉そうに語っていますが、私自身が明確な目標を持ち続けてきたわけでは決してないです。検査技師の道を選んだのも友達の影響ですし、20代は自分の可能性など深く考えてなかった。ただ、それがちょっとしたきっかけで災害医療に携わることになり、いろいろな人と巡り合って、この分野で成長して少しは貢献できるようになってきた。今も思うようにいかないことの多い毎日ですが、くじけそうになっても“1日1ミリ”でも成長したいという気持ちで一歩ずつ進んでいる感じです。

 若手の検査技師に伝えたいことは、いろいろなものに興味を持ってほしいということです。違うと感じたら辞めればいいし、いずれ興味を引かれるテーマが見つかり、それが自分の譲れないテーマになってくる。それが私の場合は災害医療の世界だった。災害医療に携わることで、検査室内だけでは出会うことのなかった医師や看護師、多くの医療職と出会うことができたのも財産です。微力ながら私の経験を伝えていくことで、「災害医療で頑張ってみたい」と思う仲間が増えて、災害医療というキーワードが検査技師に少しでも根付いていけばと思っています。




記事下バナー_地域特性から考える「明日の検査室」_PC.jpg

その他の最新記事

MTJメールニュース

​株式会社じほう

bottom of page